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やる気が出ない・・・

10月に母親を亡くした。

肺癌を再発したので、平凡な毎日がずっと続かない事は
わかっていた。
コロナ過で、去年からあまり会えなかった・・・

でも、7月にちょっと顔だけみた感じでは
まだまだ大丈夫かなと思っていた。

10月中旬に、従姉妹から電話があり
食べられない飲めないと教えられた。

楽観的な私は、兄弟に連絡して様子を確認したが
様子を見に行った方がよさそうだと思い
ホテルと新幹線を予約して、3日後に長野に向かった。
その日は、ホテルに泊まり
次の日に待ち合わせして、母親を親戚のクリニックに
連れて行った。
母親は、不機嫌で調子が悪そうだった。
兄弟は、クリニックに入らずに車で待っていた。

状態は、悪くて点滴を受けてすぐにかかりつけの病院に
連絡してその日に入院が決まった。
私は、新幹線の時間もありそのまま自宅に戻った。
母親のレントゲンは、右肺が真っ白だった
以前、TVで見たコロナ患者のレントゲンのようだった。

兄弟から電話があったのは、午後8時過ぎだった
無事に入院したよと・・・私は、役目は果たしたと思った
この時、私は義務を果たした感が強かった。

2日後、母親から電話があった。
無事に入院したと私は、体力つけて退院して
おばさん達に会おうと短い会話をした。
次の日、母親の働き者の手の話をしようと
電話をかけたが、母親はでなかった。

次の日、兄弟から母親が危ないと電話が入った。
あまりにも展開が速すぎるだろと、頭が理解できなかった。
とまと男に連絡したら、次の日にお見舞いに行こうと
話が決まった。
だめ元で、子供1・2にも連絡すると
2人とも、行けるとなった。
その日は、どうにか持ちこたえた。

次の日、4人で長野の病院を訪ねた。
コロナも、落ち着いており面会が出来た。
もう、私たちが行った事もわからず
ただ、苦しい呼吸を繰り返していた。
私たちは、母の耳元でありがとうを繰り返した。

その日、とんぼ返りで東京に戻り
子供1・子供2の順に家へ送り届けた。
家の近くに差し掛かった時に電話がなった。
兄弟から母親が今、亡くなった事を聞いた。

1日おいて、お通夜・告別式・納骨が
あっと言う間に終わった。

母親の働き者の手の話が出来なかったのが
心残りだ。

母親の人生を考えたり、自分のこれからを考えると
なんだろうか?やる気がでない。


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hana34

Author:hana34
いつの間にか50代で専業主婦になっていました。好きなのは、旅行とゲームと美容皮膚科です。
いまは、ポイントに踊らされています。

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