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東北震災の時の思い出

東北震災の時の思い出を
忘れないように書いておきます。

あの日、私は家にいて突然の揺れに
見舞われました。
住んでいる建物は、コンクリートなので
大丈夫だと確信していたので
中庭に、避難なのか集まる住人を
ベランダから、見物していた。

携帯電話は、繋がらず
TVをつけっぱなしにして情報を
得ていた。
子供2の携帯に繋がり、とまと男と
子供1からの連絡が入ったと聞き安心した。

子供1は、家に帰るのを諦め
彼氏の家に、向かうらしい。
とまと男は、9時前にお台場から帰ってきた。
裏道をずっと、回って回って帰って来たらしい。
実家にも連絡を入れて
家族の安全を伝えた。

震災の次の日、とまと男が頼んでくれた
ホワイトデーのお菓子が届られた。
その発送場所は、震災にあった場所で
発送されたのは、震災当日の午前中だった。
午前中、発送されたお菓子は
クロネコヤマトさんに託され
次の日、我が家に届けられた。

楽天から注文したお店のHPは
繋がらなかった。

あの日、お菓子を作ってくれた人たちと
クロネコヤマトさんの集配の人たちは
大丈夫だったのだろうか?
今も、この時期になると思い出す。

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医者は、基本信用しない・・・

2021年、もうじき癌の手術をして
10年が過ぎます。

私は、子宮と卵巣を切除して、抗癌剤もしないで済んだけど
卵巣は、自分の希望で切除してもらった。
リンパ切除は、ぐうたらな自分の性格を考えて
調べたリンパに、転移がなければ切除しないと先生に言った。
承諾書にサインもした。

手術が終わって、半年後にレントゲンを撮ったら
背骨に転移疑いがあり、MRIをした。
結局、転移ではなかったが
その後、定期検査は行かなかった。

この時の疑いから、結果が出るまでの時間は
すごくすご~く、長く辛かった。
アメリカでは、癌の治療が終わったら
定期検査はしないらしい、調子が悪くなったら
自分で、病院に行く。
私もそうする事にした。
長生きは、望んでなので・・・

この背骨の○○が、曲者で
整形外科A先生は、脊柱狭窄症と診断した
放射線科B先生は、疲労骨折と診断した

三人とも、違う診断を下されたので
私は、子供時代の事を考えて
疲労骨折と決めた。

たぶんそうだ、きっとそうだ。
で、医者の話は50%で聞く事にした。
医者は、100%信頼はしてない。

お医者さんも、稼がなければならない。
親戚は、50代で開業したが
2億円の借金を背負っている。
返せるんだろうか?
プロフィール

hana34

Author:hana34
いつの間にか50代で専業主婦になっていました。好きなのは、旅行とゲームと美容皮膚科です。
いまは、ポイントに踊らされています。

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